ランナーの「みかた」

ランニング、マラソンに関する記事を書いていきます(仮)

チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン体験記

チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン118キロを走ってきました。

 

タイムは13'15'50

 

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 ■ガーミンのデータ

 

タイムだけで考えるとあまり良い結果とは言えませんが、初のウルトラマラソンということを考えると、ケガもなく無事に完走できたことにホッとしています。

 

昨年10月の富山マラソンを完走後に、申し込んだのが11月。本番まで約5ヶ月、学生時代の遠足や修学旅行の時のように、このチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンを心待ちにしていました。

 

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全部書くと、とんでもない量になってしまいそうなので、印象的に残っている部分をピックアップして体験記として記します。

 

今回のレースでは40キロまでは想定ペースより早いぐらいで淡々を走ることが出来ていました。しかし、40キロ付近、場所で言うと、富士北麓公園に戻ってきて、信号を越えた先の下り坂ぐらいから身体に違和感を感じ始めます。

 

1つは、思ったより足に痛みが出ていたこと、もう1つは想定していたより、寒さを感じていなかったことです。

 

後から分かるのですが、実際は寒さを感じていなったのではなく、身体は暑さを感じていたにも関わらず、本人が気づいていないだけでした。そのため、寒さ対策で身につけていた薄手のウイドウブレイカーや手袋、首に巻くバフをずっと身につけたまま走っていました。40キロ地点では、730分過ぎになりますので、辺りは普通に明るく、気温は高くなりそうとの情報は持っていましたから、こんなに着込んだまま走る必要なかったのですが、これを脱ぐ勇気というか、決断が出来ないまま56キロの荷物預かり地点を迎えます。走りながらでも脱いで、腰に巻いているポーチにしまうだけにも関わらず、事前に決まったことをやり遂げるというのが私の思考のクセにあるため、環境に合わせた対応というのが出来ずに56キロの荷物預かり場を迎えます。

 

そんなわけで、56キロを向けた時、身体に異変を感じます。走っている時に感じないことを、立ち止まった時に一気に感じ始めました。今考えると、同じミスを東京マラソンでもやっているのですが、気温に対して必要以上に着込んで走っていたため、思った以上に発汗しており、脱水症状になっていました。更には、そんな身体の状態なったためか、両方の太もも・甲・足裏はこれまでに感じたことにない痛みが出てきました。レース全体の半分弱を過ぎて、順調さを感じる中で走ってきたのですが、音をたてて一気にレースプランが崩れました。

 

自分にとっては想定外の出来事のため、残り80キロをどう切り抜けるのかが試されることになりました。ただ、不思議とあせる気持ちよりも、この事象をどう解決するかに気持ちは向いていました。

 

まず、意識したのは関門です。このとき、ランナー人生初の関門を意識します。関門に引っかかることを事前に想定していなかったので、当然ですが手元に資料はありません。スマホで調べることも出来ましたが、いじる中でfacebookの知り合いのコメントやLINEのメッセージを読んでしまうことで、元気やカツがもらえるというより、弱さに負けてしまうことがおきそうだったので、あえてスマホをいじりませんでした。というわけで、関門については主要なエイドには書いてあるので、そこまで行ってから考えることを選択。すぐに思考から外しました。

 

次に、身体の状態をどうするかです。脱水症状からくる身体のだるさと熱さはすぐに治りそうもありません。でも、走るのは止めたくない(無理のない範囲で)56キロ地点での荷物にOS-1のゼリーを預けていたので、全快は無理でもうまく状態を保つことができれば何とかなりそうな希望の光あり。どうしたら、この身体の状態を軽減することができるのか?、そんなソリューションを考える中で、思いつきます。

 

水を被れば良い

 

正直、水を被るのはウェアは濡れてしまうし、髪はビショビショになるので瞬間的には気持ち良いのですが、走っている時は気持ち悪さを感じるので、あまり好きとは言えません。が、そんなことを言っていられる状態ではありません。藁にもすがる想いで、好き嫌いではなく、格好良さ格好悪さでもなく、単純に解決するためにはどうしたら良いのか?という気持ちで、このソリューションを選択します。この決断は、今回のウルトラマラソンの中で、大きな分岐点の一つです。きっと、下手はプライドが邪魔して、水を被るという行為をしていなければ、ゴールまでたどり着くことは出来なかったように思います。自分の中では、タイムを追い求めるマラソンから、いかにしてゴールするかを考えるマラソンに切り替わった瞬間でした。

 

気持ちが切り替わると、普段の自分とは違うがむしゃらさが出来てます。ハングリー精神にも似た気持ちがわき出てきて、レース前には持っていなかった絶対にゴールしてやるという強い意思がわき出てきました。おこがましい気持ちで申し訳ないですが、レース前にはゴールするのは当たり前なことと考えていました。わき出てきたのは、応援してくれる人・お世話になった人がいるからこそ頑張ろうという気持ちではなく、弱い自分に打ち勝つために生身の自分で試行錯誤しながらやり抜くという気持ちです。

 

こんな腹をくくるような気持ちで56キロ地点でスタートします。気持ちは切り替えても、足の痛さは取れませんので、ここから歩く、歩き倒すというレースが始まるわけです。

 

スタートしたものの、残り80キロが残っているという事実は変わりません。3つ目の西湖の登り坂で悶々と悩み考えながらも、足の痛みは消えることなく、どうしたらいいのか?と自問自答を繰り返す中で、いい答えを発見します。

 

「今は西湖の途中で3つめの湖。よくよく考えると、118キロは5つの湖に接するのだから、残り2つの湖に出会うだけ。距離は3分の2近く残っているが、出会う湖は過半数を超えている」

118キロまで考えるには長すぎる。まずは、100キロまで走って、残り18キロは過ぎ去った後に考えよう」

 

事実は変わらないのですが、事実のとらえ方が変わるだけで、足の痛みとも向き合い方が変わったように思います。心の引っかかりが取れたおかげで、足の痛みが時折消えて、少しの距離なら走ることができるようになってきました。エイドの度に水を大量に被って、次のエイドの目指して走る。頭から水を被るというのは、結局13エイド~25エイドまで繰り返して行いました。更には、エイドの置いてあるドリンクや食べ物を楽しみに前に進む。フルマラソンの時には感じないような気持ちで、ただ単純に前に進んでいました。

 

が、この気持ちも、75キロを過ぎるところでプチンと消えます。富士五湖は72キロ付近で、100キロ・71キロ組は帰りのルートに、118キロ組は5つ目の湖・本栖湖に向かいます。元々、分かっていたことですが、いざ体験してみると、一緒に走る人が一気に減るということ、100キロ・71キロ組は帰りのルートに向かうということが、精神的に効いてきます。更には、本栖湖に着いた時に驚いたのは、目の前に見える湖の大きさです。一周12キロあまりを、この精神状態で周回しなければなりません。不思議なもので、気持ちが萎えてくると、足の痛みが強くなってきます。

 

今回のレース中、何度か気持ちが切れることがありましたが、この本栖湖を周回し始めた時には、底を打つぐらいひどい状態でした。

 

「どうして、100キロにしなかったのだろう?」

「この18キロの差に、どんな意味があるのだろう?」

 

この問いを何度自分に問いかけたことか。精神状態は不安定な分、勝手に本栖湖に殺意にも似た気持ちを抱いていました(本栖湖、ごめんなさい)。

本栖湖の荷物預かり場には、途中離脱用のバスが待機されていましたが、目に入れないということでどうにか、途中で辞めるという気持ちを起こさないように努めました。

 

今回118キロ全体でつらさを感じる場面を振り返ると、1つは本栖湖周回をスタートする3キロ。もう一つは100キロ過ぎた後からの3キロ。どちらも、3キロ近くを歩き倒しています。

 

周回をスタートして3キロぐらい歩いていると、もう少し走ることが出来るのでは?という気持ちが出来て、ちょっとずつ走ることが出来るようになってきます。気持ちを作ってから走るということもありながら、走ることで気持ちがついてくるということが、他のマラソンにはないウルトラマラソン独特の走りなのかも知れません。走ることが出来ると、段々とリズムが生まれてきます。

 

しかし、本栖湖で走ることが出来はじめた辺りから、周りにランナーがいないこと、周りに応援してくださる人がいないこと、周りに宿泊施設がなく他の湖に比べると圧倒的に人が少ないこと、こんな状況から気持ちが不安定になり、急に涙が流れ出しました。足が痛くても、体調が悪くても、涙を流すことはなかったのに、人が少ないという寂しさから涙を流すことになるなんて。自分でもちょっとビックリしましたが、自分が感じた素直な感情なので、否定することなく、その感情を感じながら、ただひたすらに前に進みました。1キロぐらいは涙を流して走っていたように思います。

 

そんな気持ちとつきあい始めて、本栖湖の周回を無事に終えると気持ちが元気に、足も元気になり始めます。

 

今振り返ると、ウルトラマラソンには復活があるという話を聞いていましたが、まさにそんなことが起きていたように思います。仮に足が痛くても、仮に体調が優れなくても、仮に走れずに歩き続けたとしても、一歩でも前に進めば、復活ということが起きる可能性がある。復活ということはいつ起きるのか誰にも分からないが、前に進むということをやり続けることで、マラソンの神様は必死こいている人にはホイミの魔法をかけてくれるのかも知れません。

 

まさに、本栖湖の18キロは最悪の時間でありながら、今の僕には必要な時間だったように思います。

 

元気になってくると、この元気を疲れてくる人も渡したり、与えたりする方が良いのでは?という気持ちがわき出てきます。特に、本栖湖への道は、行く人・帰る人がすれ違うので、おそらく、さっきまでの自分と同じような気持ちな人がいるはずという仮説があって、帰りの時は積極的に声をかけました。すれ違うのは一瞬ですから、かける言葉は一言だけ。

 

「頑張ってください」

「ナイスランです」

 

声をかけて会釈や笑顔を返してくれる反応がある人もいれば、気づいていないかのような無反応な人もいる。いいんです。完全な自己満足なのかも知れませんが、頑張るランナーの心の支えの一つになれればと思い、まずは自分が与えることを心がけました。与えたから自分に与えられるのではなく、与えた人が更に頑張るランナーに与えてくれれば、僕はそれで満足です。ウルトラマラソンは競争するスポーツでありながら、協奏するスポーツでもありたいなと。

 

本栖湖から無事に帰還して、100キロ・71キロ組と合流する時には、90.5キロ地点。まだまだ長いなぁー(笑)まだ、32キロも残っている計算です。ただ、これからのルートは試走で全て走ったルートです。頭の中ではタイムの計算は出来ませんが、これから上り坂で、ここから下り坂、西湖の帰り道で100キロを迎えるというコースをイメージすることは出来ます。

 

後は、56キロ地点で考えた、100キロまでは残り9.5キロと大分近づいてきたことになります。ここからは100キロを目指して、必死です。118キロ走ということは一旦忘れて、100キロを目指して走ります。相変わらず、走ったり歩いたりの繰り返しが続きますが、ガーミンの時計上で100キロのラップを刻みます。100キロを越える時は走って迎えたかったので、そこだけは悪あがきをしました。100キロのタイムは、たしか10時間30分を越えるタイムだったように思います。喜びも悲しくもなく、こんなものかぁと、客観的にその事実を受け止めていました。

 

が、とても大事なことがあります。それは、ここから18キロ残っているということです。更には、100キロを目標に走ってきましたから、完全に緊張の糸が切れました。自分の中で、残り18キロを踏ん張る理由が見つからなくなりました。もう、18キロ全部歩いて良いのでは?という気持ちが出来ました。そして、その気持ちに素直に従おうとも思い始めました。

 

でもですね。これまでの経験則上、歩くと1キロで約10分かかることを知っています。つまりは、1時間で6キロしか進みません。18キロ進むには3時間かかる計算になります。100キロ地点から18キロで3時間もかかるということは想像以上にショックでした。

 

更には、切れた気持ちはすぐに復活してくれません。当然ながら、足の全ての箇所に痛みが発生して、歩くだけでも痛みを感じます。頑張って早歩きをしても、頑張って腕を振って歩いても、1キロ10分という時間は縮まりません。なかなか、良い打開策が見つかりません。心の支えどころとして、本栖湖の時に心が不安定な状態で3キロ歩いた時に、足の痛みがひいてきた経験があったので、その希望を捨てずにただがむしゃらに前に進みました。

 

そんな時、沿道にいた方の段ボールに書かれている文字を目にします。

 

「その痛みも含めて、いい経験だね」

 

!!

 

自分に向けたメッセージのように感じました。今の自分は足の痛みを理由に、辞めることや走らないことを選択していました。そして、こんな精神状態な時には、この痛みは自分だけに起きていて、とっても可愛そう、気の毒といった自分にとって都合の良い考え方になっていました。ネガティブな状態にこそ、起きる気持ちの典型ですね。

 

しかし、周りのランナーを見渡してみると、歩いている人も、走っている人も、きれいフォームで走っている人は見当たりません。時折立ち止まりながら、身体を伸ばしている人、足を引き釣りながら前に進んでいる人、走って歩いてを繰り返している人と、誰もが身体にダメージをかかえているではありませんか。

 

ずっと周りにいるランナーの姿を勝手にライバルもしくは自分と違う人としか見ていなかったのですが、今は前に進む同士であり、同じ症状が起きている仲間なのではないか、というとらえ方に変わりました。そして、そんな人たちが必死にもがいているのに、お前は100キロ地点で満足して、もがくことをしないのか?という神のお告げにも似た言葉が振ってきて、頑張る理由が自分の中で生まれてきました。

 

ここまで来たら、きれいなフォームで走る必要もない。タイムも関係ない。

 

人の頑張る姿が自分に影響して、自分の頑張る姿が人に影響して、誰もがウルトラマラソンという大変な距離を走ってきたからこそ起きている科学反応な気がしてきました。

 

この気持ちに行き着いたのが105キロ過ぎなので、この時点で残り14キロあまり。決して良いフォームとは言えなかったと思いますが、ただひたすらに前に進む気持ちで、走りました。このときのラップタイムは6'30ぐらいですが、意外と走れることに気づきます。むしろ、歩くよりこれぐらいのペースで走った方が精神的にも肉体的にもラクでした。もっと早く気づきたかったなぁ。

 

ここまで来ると残りは、一般道の坂道と、最後3.5キロほど続く坂道です。一般道の坂道は何とか走りましたが、最後3.5キロの坂道は歩きました。元々歩くプランでしたし、逆に走っている人には心の中でエールを送りました。この坂道も、試走をしていた分、どこに何があって、何を目安にすると良いのか分かっていたので、精神的にラクでした。逆に言えば、知らなければ、最後の最後で心が折れていたかも知れません。

 

最後の坂を登り終えて、残り2キロ弱は下り坂。最後ぐらいは走ってゴールしたいと思って、頑張りました。タイムではないく、自分の中での納得感を得たくて。

 

そして、最後の富士北麓公園に入って最後のグラウンドに入る前、番号と名前を呼び上げてくれて、ゴール近くを実感。グラウンドにはいった時に、目の前の人を一人抜いて、ゴールテープが準備されるのを待って、無事にゴール。手を上げてゴールするか、ガッツポーズでゴールするかを最後に考えて、最終的にはガッツポーズを選択。果たして、どんな写真が写っているのかは、後日のお楽しみ。

 

ゴールした後、感動で涙するか、正直全く無かったです。あったのは、とにかく無事にゴールできた安堵感でした。そして、「やっぱり、118キロはさすがに長かったなぁ・・・」という感想ぐらい。レース後の気持ちより、レース中の気持ちばかりが強く印象に残っています。Youtubeにアップされている動画ではゴール後に泣いている人とか結構いたんですけどね。感動する気持ちより、疲労感や身体の痛みの方が上回っていたようです。

 

いやー、まだまだ書きたいこと、盛り沢山。肝心の振り返り(特に学び)は全く書けていませんし。それでも、生の体験記として書き留めておきたかったことを嘘偽りなく書きました。今回は初のウルトラマラソンということなのもあり、次のウルトラマラソンでは味わうことが出来ない気持ちが強かったため。

 

支離滅裂なところはありますし、そもそも富士五湖走っていない人には全く意味不明な箇所があるのも承知の上です。あまり編集し過ぎずに、そのまま、ありのままを意識して書きました。今回、富士五湖を走った方に、来年、走ろうと思っている方に、これからウルトラマラソンを走る方に、最後に未来の自分のために役立つことが出来れば幸いです。

 

最後に、今回レースプロデューサーをつとめる坂本さんの本から抜粋して締めくくりたいと思います。この言葉の意味を知りたくて、ウルトラマラソンを走りました。

 

ウルトラマラソンは、フルマラソン以上に限界や究極に追い込まれている、ひと味もふた味も違ったランニングだ。つまり、ウルトラマラソンとはランニングスポーツであると同時に「人間性探求」にはもってこいの底なしに深いスポーツ、ということに私は気づいたである。この気づきは、40代に入っていた私にとって、「人」としての自分を見直す契機ともなっていった。

 

人間は本来、さまざまな苦しみや辛い経験を経た後は、より円満で深みのある人間性を身につけるべきものである。もちろん、そうなっていくランナーもたくさんいるが、なかには完走を果たしたことで天狗になったり、「自分は一線を克服したから人とは違ううんだ・・・」というより傲慢さを身にまとってしまう人が多くいることも事実だ。

 

ウルトラマラソンが多くの人にとって、よりよい「人間性探求」への入り口になってほしい。そう願っている。